「┐」「大」「ト」からなる「カネダイト」の旗印は、江戸時代から「服部」に伝わる屋号です。
江戸幕府により庶民が苗字を名乗ることが認められていなかったため、その家の生業などの特徴を含んで屋号がつけられたと言われています。
「カネダイト」が意味するところは長い年月によって失伝してしまいましたが、江戸時代から連綿と受け継がれる精神は現代においても「服部」に脈々と息づいています。
歴史と伝統を守りつつ、鞄作りで培った職人的技術と異業種との繋がりから学び得た技術や技法を融合し、新たに生み出される創造性によって、時代を超えて遺すことができる“ものづくり”に挑戦していくことこそが「カネダイト」の精神です。
「豊岡鞄」に認められた高品質と信頼性
最先端の技術と伝統的な技巧の調和
品格と優美をまとった美しい鞄
「豊岡鞄®」は、日本有数の鞄の産地である兵庫県豊岡市で生まれた地域ブランドです。
1200年前の柳行李を起源に、その長い歴史の中で技術を磨き確かな品質の鞄をつくり続けてきました。
“企業審査”と”製品審査”、この⼆段階の審査に合格した鞄だけが「豊岡鞄」です。
豊岡産の鞄の中でも兵庫県鞄⼯業組合が定めた基準を満たす企業によって⽣産され、品質を守るための審査に合格した製品を「豊岡鞄」と認定しています。
豊岡鞄として製品認定されるためには設けられた7つの品質基準を全て満たすことが必要です。その合格率は約5割。
外観だけでなく⽬に触れることのない裏側の縫い⽬ひとつのズレさえも許されません。
優れた鞄を安⼼して使っていただくために豊岡鞄は品質の細部にまでこだわることを約束します。
将棋の産地「天童」と鞄の産地「豊岡」
伝統技法が融合して生み出した
オールレザーの「本格牛革将棋駒」
将棋駒の生産量日本一の山形県 天童市の伝統技法と、兵庫県 豊岡市の鞄作りで培った革加工技術を融合した、
オールレザーの「本格牛革将棋盤」がついに完成しました。
皮革を何層にも重ねて磨き上げ手彫りの文字が刻まれた駒は、まるで使い込まれた高級感漂う木製の駒のような仕上りとなりました。
革ならではの経年変化で使っていくたびにツヤと色の深みが育っていく風合いを感じられます。
オールレザーとは言え、音は将棋を指すときと同じ鋭さを誇っています。木製よりも少しこもった重みのある独特の音が響きます。
将棋駒だけではなく、“将棋盤”と“駒置き”、保管ケースまで、すべて牛革で作成しました。
わたしたち「服部」の歴史は、天保元年(1830年)に服部庄兵衛が京都で「伊勢屋庄兵衛」という家号で創業したことからはじまります。後に、明治18年(1885年)に服部藤輔が旅行用品雑貨問屋として「服部商店」を創設した時に、現代まで連なる「服部」という屋号が誕生しました。
明治39年(1906年)には「服部合名会社」初代社長の服部清三郎が豊岡で生産していた「柳行李製品を携帯使用に」と考え苦心の末、“鞄型柳行李”を創案したと伝えられています。
“柳行李(やなぎこうり)”とは、奈良時代以前から豊岡で作られてきた“豊岡杞柳細工”と呼ばれる国が指定した伝統工芸品の籠細工で、時代に合わせて姿を変えてきた“豊岡かばん”の源流です。
“柳行李”を源流とする“豊岡かばん”、そして「服部」の長い歴史と伝統を守りつつ、現代の生活様式の変化に合わせて、宝物をもつような満足や喜び、感動するような“ものづくり”に尽力します。
「服部」が拠点を置く“兵庫県 豊岡市”は、国内最大級の鞄の産地として知られています。
奈良時代から豊岡で作られてきた“柳行李(やなぎこうり)”と呼ばれる、杞柳で編んだ籠が“豊岡かばん”の源流です。“豊岡杞柳細工”は、国が指定した伝統工芸品に指定されています。
1200年前頃には豊岡の地を流れる円山川に自生していた“杞柳(こりやなぎ)”を編んだ籠が作られており、東大寺 正倉院にも収められていたと伝えられています。
江戸時代になると、豊岡藩の奨励により“柳行李(やなぎごうり)”の生産が盛んになり、日本全土に流通し旅行道具入れとして使用され、大名から町民まで広く使われるようになりました。
明治時代には柳行李に革の取手と帯革を施した“行李鞄”が誕生し、明治33年に開催されたパリ万博に出品され、世界から評価されたといわれています。
こうして豊岡の鞄は、長い歴史と伝統技術により国内最大級の地場産業へと発展していきました。